虹色空間から~

日々の生活で興味あることを綴ります

広島紀行

プロ野球広島東洋カープの応援を本拠地でしたい!と思い、当初は日帰りで弾丸観戦を行おうと思ったのですが、今年は終戦、そして原爆投下から70周年であり、以前に平和公園を訪れた時の記憶がほとんど残っていないこともあり、一泊の旅として、戦跡を訪れることにしました。広島の応援と言う大目的もあるため、効率よく回れるように下調べを結構行いました。そのため、印象には残る旅となりました。

【旅行日程】
2015年4月28日(火)~29日(水祝)
1日目:広島城
2日目:平和公園・爆心地・旧日本銀行広島支店

広島城は別名「鯉城(りじょう)」と呼ばれます。広島東洋カープカープと名づけた谷川昇氏は「鯉が縁起のいい魚であること」「広島城は鯉城と呼ばれているから」などの理由で鯉(carp)に因んでカープという名称を決めたそうです。初めて知りました!
広島城天守は大天守と小天守から構成されていました。大天守明治維新後も残っていましたが、原子爆弾により壊滅し、現在は復元された鉄筋コンクリートの建物です。しかし外観は木造の雰囲気でしっかりと復元されているので、外から眺めるとおもむきがあります。
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広島城は明治時代に起こった日清戦争時には大本営が置かれる(大本営に使われた建物も原子爆弾によって破壊され今は土台部分だけが残っている)など、江戸時代が終わっても重要な役割を果たしていました。太平洋戦争当時は中国軍管区部の防空作戦室(地下通信室)が置かれ、原爆投下時には地下施設だったため破壊をまぬがれ、ここから原爆投下の第一報が発せられたと言われています。入口の跡らしい物が残っていました(下写真)。また、城の敷地内には被爆樹木が3本残っていました。太平洋戦争の痕跡が今も身近に感じることのできる城でした。広島護国神社の入口には鯉のぼりが下げられていて、さすが鯉城!と感動しました。
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2日目は平和公園周辺を歩きました。
駅からは路面電車を使い、城下町らしい駅の名前を聞き、街中の様子を感じながら公園へ向かいました。
広島平和記念資料館の開館が8:30なので、早めに公園へ向かい、原爆ドームや碑などを見てまわることにしました。原子爆弾の投下目標となったT字形をした相生橋を渡り、平和の時計塔の前にさしかかると、時刻は8:15近く。説明文を読むと、毎日8:15に「ノーモアヒロシマ」を訴えてチャイムが鳴るとのこと。しばし、その場に留まり、チャイムの音に耳を傾け、平和を祈りました。
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平和の鐘を後にして、広島平和記念資料館の方へ歩きました。
しばらく進むと、修学旅行の団体らしき集団が説明を受けている碑にさしかかりました。そこは韓国人原爆犠牲者慰霊碑でした。漏れ聞こえてきたガイドの説明には「韓国人の遺体はずっとほっておかれました」「この慰霊碑は最初公園の中には建てることができず、川向うにありました」など差別されたことが盛り込まれていました。同じ犠牲者であるのに差別が行われていたことを知り、悲しい気持ちになりました。
この慰霊碑のすぐ側にあるのが、被爆した墓石(慈仙寺跡の墓石)です。原子爆弾の爆風で墓の笠となる相輪が飛び崩れました。この墓石が立つ一段低くなった地面が元々の高さままだそうです。平和公園のあった地域は広島一の繁華街で、家が多く建っていたそうです。それらの家が全て瓦礫となり焼け落ち、その上に平和公園を造ったため、現在は周りの土地が高くなってしまったそうです。
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広島平和記念資料館の開館と同時に中に入り、中をゆっくりと見学しました。現在リニューアル工事中で一部しか見ることができずがっかりでした。工事の終了は来年の春とのこと。もう一度、訪れたいものです。
次に向かったのは爆心地となった現島田外科です。原爆ドームから道一本隔てた住宅街の中にひっそりと爆心地を示す説明文が立っていました。
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ここから街中を歩いて、旧日本銀行広島支店に行きました。この建物も被爆建物で、現在は資料館となっています。建物の前はひっそりとしていて静かでしたが、中に入ったびっくり。人人人でびっくりしました。29日から始まった「広島復興大写真展」の記念イベントが開催さるため、人が集まっていたようです。
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イベントを見たい気分でしたが、被爆体験伝承講和を聞くため、平和公園へ戻りました。
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で行われている被爆体験伝承講和は被爆者の高齢化が進んだことから、体験や平和への思いを語り継いでいこうということで3年前から取り組みが始まり、今年3年の研修期間を終えた人たちが4月20日より毎日講和を行うというものです。修学旅行で来た時に被害者の方から直接話を聞いた記憶はあるのですが、内容は全く覚えていないので、良い機会なので聞きに行きました。まだ始まったばかりで、知らない人も多いのか、聞きに来ている人は少なかったですが、貴重な話を聞くことが出来ました。体験だけでなく、なぜ広島に原子爆弾が落とされたのか、疎開していた子供たちはどしていたのかなど、様々な話を聞くことができ勉強になりました。今後はこのような取り組みが重要になってくると思います。

本当はまだまだ訪れたいところがあったのですが、今回は時間切れとなりました。広島は戦跡がたくさんあり日常のごく身近なところにあるという感覚で広島に来ましたが、意外に発展した街中に埋もれてしまって、意識しないと分からないのだなと感じました。東京も調べると、多くの戦跡が存在しているのですが、意識しないと分かりません。どこでも同じ課題があるのだなと思いました。

広島のほんの一部分しか見れませんでしたが、親しみをより持ちました。次回はもっとのんびり街歩きをしてみたいと思います。